• [2024年]能登半島地震・豪雨
  • 令和6年1月1日地震発生、3日より能登入りし活動開始。 9月21日には豪雨災害も併発、能登町を中心に奥能登各地で活動を展開する。

【令和6年能登半島地震・豪雨】支援活動レポート 9月26~28日

【能登半島豪雨】支援活動レポート 9月26日

能登町地元のデザイナー、まゆんぐ。
「やっぞ!!能登町」のロゴもデザインし、復興のアイコンとして町でも親しまれています。
地元ボランティアとして今回の豪雨でも仲間として活動中です。
以下まゆんぐからのレポートです!
↓↓↓↓↓↓

今日も上長尾でお手伝い。
富山から地震の時にも駆けつけてくれた友人3人も応援にきてくれました。

マンパワー!!!やっぱり人数おるとスピードが段違い。遠くから本当に有難い。
みんなでキッチンの棚を出したり、床下の泥出し準備をしたり。

床上15cmあった泥がなくなり、廊下は裸足で歩けるようになりました。
お家のお母さんお父さんの顔が最初の頃より明らかに明るくなって笑顔が増えて冗談まで言えるぐらいになって!!!
とってもとっても嬉しいです。
住めるようにするからね。

午後から能登町のママさんも来てくれました。
おらっちゃの町やしね。
みんなで手とりあってやらんかね。

本当に誰でもできるし、1時間でも2時間でも嬉しいです。
まだ床下にもたくさんあります。

必要なのは笑顔と思いやる気持ちだけ。
わっちゃ、やっぞ!!!

【能登半島豪雨】 支援活動レポート 9月26日

本日の現場は能登町の酒店所有の倉庫内の家財出し、泥撤去。
一昨日も別な部屋から家財を出しましたが、敷地内に置かれている被災家財の量が多いため、ダンプ2台に分かれて藤波の仮置き場へ搬出、並行して泥出し開始。
自己所有の畑まで運び出しを行いました。さらに保管庫内のお米を自宅まで運びました。

活動していると、お隣のお宅の入り口の家財出しのご依頼もいただき、搬出行いました。
重機チームは地上80センチ、完全に土砂に覆われた市道と宅地から埋没した自家用車を取り出せるように掘削し、搬出を行いました。

狭い現場で尚且つ水捌けを考慮しながらの作業でした。かなり大量の土砂にかなり苦戦しました。
「その先の笑顔のために」少しずつ進んでいきます。

レポーター:石巻・タム&球磨村神瀬・哲秀

 

【能登半島豪雨】支援活動レポート 9月27日
~重機チームの現場から~
輪島市、道の駅輪島周辺土砂撤去3日目。
丘の上の中学校校庭より大量の土砂が豪雨により麓の住宅地へ流れ出した。
深い所は1メートル近く堆積している。
地元の業者さんと共同で土砂撤去をすることとなった。
永い永い戦いが始まった。
業者のオペさんとお話をした。
「もうみんな心が折れちまってるんだよ」。
寂しげに呟く。
「だから俺たちがやるしかねえんだ」。
唇を噛み締める。
「やるなら今しかねえ やるなら今しかねえ」
六十六歳の、オペの親父の口癖は、
「やるなら今しかねえ」
■9月27日、能登での活動
・輪島市
道路啓開、泥出し 1件
・能登町
家屋作業、宅地内泥だし 4件
現地調査、社協連携等
【能登半島豪雨】支援活動レポート 9月28日
毎日、各チームからレポートが届きます。
作業の内容や住人さんの様子など。
地震にたたみかける今回の豪雨。
出会う方々の様々な感情を受け取ります。
私たちがそこで何ができるのか。
ここから次のために。
そんなレポートです。
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輪島市
土砂に埋もれた街で 4日目
目が怒りに満ちている。
「これが初めてではない。
にも関わらず市からは何の連絡も無い。
直接来いとは言わない。
でも電話の一本くらいあってもいいじゃないか!」
「市役所の職員も多くが被災者
日々必死に目の前の対応に追われている
事も分かるが」
そう一気に吐き出すと
住人さんはどこか寂しげな表情をした。
そうなると誰しもが思う
ちょっとした気配りが、、、
あの時一言言っておけば、、、
ここにいる俺は如何(どう)なんだ!
家族に
仲間に
被災した住人さんに
支援して下さる方々に。
小手先ではがれ落ちる美しさより
一粒の汗の方がいい
二度と走れぬ坂道を上ったら
Hold Your Last Chance
そんな歌の一節が頭をよぎった
声なき声を聴き、愚直に汗を流そう。
■9月28日 能登半島活動内容
輪島市 泥搬出
能登町 重機による行方不明者捜索協力
倒木処理
宅地内泥だし(社協連携) 3件
地震対応に引き続きカインズホームが活動参加

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