【令和6年能登半島地震】支援活動レポート 2月4~7日

【令和6年能登半島地震】支援レポート 2月4日

今日は今まで炊き出しが入っていなかった地域へと向かいました。
電気が通り、皆さん避難所からご自宅へと戻られましたが、いまだ水も出ず片付けにおわれ、お料理する環境にないとのことでした。

町の中心部からは車で15分ほどの距離なのですが、土砂崩れにより通行止めが続き、山道を30分以上迂回しなければならない状態がつい先日まで続いていました。

調査隊がおはなしして今回初訪問。予定時間前から皆さん並んで待っていてくださっていました。
こちらでは避難していたあいだ、地元の皆さんで炊き出しをおこないながら過ごされていたそうです。海沿いの集落、コミュニティの強さを感じさせる雰囲気でした。
会場設営も皆さん手伝ってくださり、あっというまに配食開始となりました。

以前から私たちをサポートしてくださっているコールマンジャパンさんが、能登地震にあたりあらたにテーブルやシェードなど大量の資機材をご提供くださいました。
各地でおこなっている炊き出しやイベント、支援活動で活用しています。

今日はぽかぽか陽気で、コールマンのギアを並べて作った会場はちょっとしたピクニック会場です。
お鍋を手に持ち帰り予定だったみなさんも、「やっぱりここで食べてくわー」と満席御礼。

みなさん暖かい日差しの中で、顔をみながらのランチタイムはとても楽しかったといってくださいました。地域で開業しているコーヒー屋さんもおかずとコーヒーを持ってきてくださり、おなかもこころもいっぱいになるひと時でした。

「おいしかった」「またきてね」「若い人と話せるのがうれしいわ」「赤米のごはんおいしかった!」みなさんお帰りの際にも私たちに必ず一言づつ声をかけてくださいました。

集落の狭い道を走りながら気が付いたのは、あちこちのお宅の壁に「頭上注意」「瓦にきをつけて」とみなさんがそれぞれに注意書きを張り出されていました。近所付き合いが活きているコミュニティなのだと感じました。

今日は地元の神社やお醤油屋さんなどへのお手伝いも含め、各地で住民さんたちと活動を行いました。
1か月がすぎ、おうちの片付けをされている方をよく見かけるようになりました。

少しづつ、少しづつこの先へ。そんな立春の日でした。

【令和6年能登半島地震】支援レポート 2月5~7日

■酒樽に乗ってきた神様
炊き出し以外にも、後述する地域の醬油屋さんの再建お手伝いなども続けています。
そのお手伝いに入っていた東京モデルチームのボランティアさんが友人関係の知り合いということで地元の神社のお手伝いに。

 

急な坂道の途中にあった大きな石の鳥居が崩れてしまい、参道を妨げているというお話をお聞きしました。
地域の産土様でもあり、大事な地域のお祭りの出発地点でもあると宮司さんがお話してくださいました。

鳥居撤去の現調をかねて、OJメンバーでご挨拶。
ご神前にご挨拶をして、宮司さんご夫妻ともお話。

 

ここには酒樽に乗って神様が海からやってきたという縁起があり、その名も「酒垂神社」(さかたるじんじゃ)と言われます。
各地で神社やお祭り復旧のお手伝いもしてきた私たち。
ご縁を感じて産土様にあらてめてご挨拶をしました。

 

こちらの神社のお手伝いもしばらく継続していきます。

■9代続くお醤油屋さん

町の中心部で9代続いているお醤油屋さん。
地元の人に聞いても醤油は高田屋さん、と良く耳にします。

蔵の中には出荷直前だったお醤油がまだ樽に入ったままとのことで、それを出すためにも崩れた蔵や物置を片付けながら作業を進めています。

物置の中にもたくさんの思い出がつまった宝物が入っていて、大切なレコードを見つけた住人さんも笑顔をみせてくださいました。
地域伝統の味の復活をめざして、できることでお手伝いをしていきます。

■元気鍋にオムライス

炊き出しもずっと継続中。
浜松で営業するビストロヒルマンズさんも二度目の能登入り。
各地でオムライスを提供してくださいました。

また各地で駆けつけてくれる臨坊のみなさんも合流。
病院での炊き出しなどを担当してくださいました。
OJチームも元気鍋の炊き出し、初めて行く地域もあり住人の皆さんとお話をしながらすすめています。
個人、企業の皆さんからいただいたお野菜や衣料の配布も行っています。またいただいた資機材も活用しています。
たくさんの応援と仲間たちの活動で今日も能登町のあちこちで湯気をたちのぼらせています。

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