常総市水害被災地の人たちと再会して、見えてきたこと。

常総市水害被災地の人たちと再会して、見えてきたこと。
3月下旬、鬼怒川の堤防に菜の花が咲き誇るなか、KEENスタッフは2015年9月の堤防決壊で洪水の被害にあわれた茨城県常総市三坂町上三坂地区のみなさんを2年半ぶりにたずねました。災害当時、災害支援団体『一般社団法人OPEN JAPAN』を通じて、KEENは被災されたみなさんにシューズ200足を寄付させていただいたのです。

2015年9月 関東・東北豪雨

2015年9月9日から11日にかけて発生した関東・東北豪雨で、鬼怒川の堤防が決壊。決壊現場が間近の上三坂地区は、14軒のうち8軒が濁流に流されるたいへんな被害を被ったにもかかわらず、ボランティアの派遣が遅れていた地域でした。

2015年9月29日のKEEN

まだ道路も通行止めだった9月29日、『OPEN JAPAN』のベースが置かれた公民館の広場で、私たちは次々に訪れる被災されたみなさんにシューズを選んでいただき、持ち帰っていただきました。あの時お会いしたみなさんは、いまどうされているのでしょうか。

2015年9月29日当日、なにもかも流されてしまった人たちに、
KEENスタッフが直接シューズを手渡した。

私たちの靴は、役に立ちましたか

OPEN JAPANの肥田ひーさーさんの案内で訪れたのは、住まいを流され、ご自身は家から1kmも流されたにもかかわらず毎日復旧作業にたずさわっていた渡辺操(みさお)さんの新築のお宅です。上三坂で同じように被害を経験されたご近所の岡野佳子(けいこ)さんもかけつけてくれました。

「やっとおちついてきた感じです」と渡辺さんが語り始めた上三坂地区は、あのとき生活のすべてが流されていました。そんななか、色やタイプで好きな靴を選ぶという普通の生活感覚が、みなさんの気持ちを前向きにさせたといいます。

渡辺操さん(左)と奥様の敏子さん(右)

岡野佳子さん

当時をふりかえる肥田ひーさーさん(左)と渡辺さん

敏子さんは、私たちのために草餅を作ってくれていた。
堤防の決壊跡で摘んだよもぎの香りが口の中に広がり、
暮らしを取り戻した田園の春を実感した。

当時楽しそうに靴を選ばれていた姿が印象的だった岡野さんは、「とても履きやすいので、かかとが斜めにすり減っても履いていました」と、つい最近まで愛用していたことを話してくださいました。小学校5年生になる渡辺さんのお孫さんも、足が成長して小さくなってしまった2足のトレッキングシューズを今も大切に持っています。KEENのシューズが、お届けした私たちの想像以上にお役に立っていたことに、とてもうれしい気持ちになりました。

新築した家のベランダで、渡辺さんのお孫さんが見せてくれた
KEENトレッキングシューズ。ベランダの奥の庭には、
ご近所の人が犬を連れて集まってくるという。

「おたがいさま」が、上三坂とOPEN JAPANのつながり

被災当時、地区の区長さんだった渡辺さんは、泥に埋まっていた被災地を『OPEN JAPAN』の肥田さん達とともに、一軒づつ必要なものを聞いてまわりました。「渡辺さんがいなかったら、僕たちはなにもできなかった」と肥田さんは振り返ります。自衛隊や消防団は救命やインフラ復旧に忙しく、各家庭の暮らしの復旧までは手が回りません。そこから先はボランティアと住民の仕事です。

【写真左】2015年、決壊した堤防は真っ先に復旧作業が進んだ。
【写真右】2018年の決壊場所近く。菜の花が一面に咲いていた

全国からOPEN JAPANのネットワークであつまった重機チームが家の庭の倒木を撤去し、人の手が家に入り込んだ泥をかき出す。「目的は泥をとることではなくて、被災された人たちが暮らしを取り戻すことに進んでもらうこと。その手段が泥かきや瓦礫の撤去なんです」と肥田さんは強調します。

やがて毎日の作業のあと公民館に帰るボランティア達のために、岡野さんをはじめ地区のお母さん達が毎日お昼ご飯を作りに来てくれるようになりました。「疲れた体に毎日の温かい食事はなにより」。肥田さんには、被災しているにもかかわらず駆けつけてくださるみなさんの気持ちがとても嬉しかったといいます。

「おたがいさまだから」と岡野さん。日々のリクエストひとつひとつに丁寧に答えてくれるボランティアのみなさんへの、せめてものお返しでした。

鬼怒川の堤防が決壊した場所近くに建てられた、石碑。
水害の記憶と被害者・被災者の思いを後世に伝え、
このような悲劇を繰り返さないために、常総市が建立した。

これからの上三坂のこと、これからの人のこと。

「今後の上三坂は、祭りを復活させることが大事」と、この地で5代に渡って農業を続けてきた渡辺さん。地域が元気になるには、住む人同士の絆が強くなければいけない。その象徴が地域の祭りでした。渡辺さんは、その復活を、息子さんの世代に託せれば、と考えています。

【写真左】2015年9月の上三坂地区。濁流が流れこんだ跡は立入禁止になっていた。
【写真右】2年半後の2018年3月には、すっかり日常の暮らしが戻ってきていた。

【写真左】被災当時、広大な地域が泥と瓦礫に埋まっていた。
【写真右】懸命の復旧の結果、名産のじゃがいもが採れる農地が復活していた。

もともと結びつきが強かった上三坂地区の人たちですが、災害を経験してかえって絆が強くなったといいます。そのきっかけを作ったのが『OPEN JAPAN』の活動でした。常総市を再訪することで、私たちKEENスタッフは、災害支援とは単に物理的にインフラを整えること以上に、生きていく上に必要な人のつながりや希望を取り戻すことだと知りました。

一般社団法人OPEN JAPANとは

自然災害支援を行う非営利団体『一般社団法人OPEN JAPAN』は、阪神淡路大震災以降の様々な被災地で築いてきた支援ノウハウとボランティアネットワークを活かし、現場ニーズと各種支援とのマッチング、重機を使用した瓦礫撤去、ボランティアセンターの運営サポートといった現場コーディネートに加え、社会づくりを見据えたプロジェクトを被災地から展開しています。

OPEN JAPANは皆様からご支援頂いた活動支援金によって運営されています。災害発生時、初動の緊急支援ではボランティアを受け入れるためのベースの立ち上げや、活動に必要な機材の運搬や燃料費など、全て皆様の気持ちが形となって、被災された方々のための支援と繋がっています。また緊急時のみならず、地域の方々との繋がりを大切にし、今、何が必要とされているかを常に考え、支援内容を変化させて各被災地で活動を続けています。

KEENは、こうした『OPEN JAPAN』の活動に賛同し、熊本地震や九州北部豪雨災害でのマッチングペイや、石巻「牡鹿半島食堂いぶき」内のFEEL GOOD STORE by KEENなどさまざまなカタチでサポートしていますが、まだまだ支援が足りません。『OPEN JAPAN』の活動は寄付によって支えられています。ご支援をよろしくお願いいたします。

※こちらの記事は記事元のKEENに許可を得て転載をしています。
https://www.keenfootwear.com/ja-jp/blog-article-137860070.html

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