• [2022年] 8月豪雨 山形・新潟
  • 2022年8月3日、日本各地で大雨が降り広範囲に災害が発生。石川、富山、新潟、山形などが大きな被害を受けた。 OJは山形県で飯豊町、川西町の災害ボランティアセンター立ち上げと技術系サポートにあたる。

令和4年8月豪雨支援レポートまとめ【山形県川西町・飯豊町】8月20~24日

【令和4年8月豪雨山形県支援】 8月20日~24日

■山形県 飯豊町 川西町 支援活動

8月3日の大雨から約3週間。
山形県川西町、飯豊町の両町では8月7日、8日からそれぞれ災害ボランティアセンターが開所しました。

7月の宮城豪雨で大崎市と松島町に入っていたスタッフがそのままスライドして常駐し、技術面やセンター運営のサポートに入りました。

■川西町での支援活動

局所的に被害が大きかった川西町。
ため池が崩れ、土砂が流入したお宅が集中していました。

地元社協のみなさんと現地調査を行い、社協に集まるボランティアの皆さんと、私たち技術系のメンバーで行う作業の線引きを行いました。

最初は住民さん自身で片付けを行われており、ニーズも少なかったのですが、山形県社協をはじめ県内各地の応援社協の皆さんも加わりローラーを行う中で次々とニーズがあがりました。

床上20センチ程の泥を伴った浸水が多く、私たちは床上げを主に担当しました。

消毒は役場環境課がいち早く塩化ベンザルコニウム液(オスバン)の全戸配布と使用説明を行い、住人さんたち自身で行えるようにしておられました。

県内あちこちから集まる社協さんやボランティアさんから「オープンジャパンさん、丸森でお会いしました!」とお声をかけていただきました。

国道113号線で相馬から新潟までつながっている文化圏です。ボランティアの皆さんもつながっておられました。

閉所日と設定された23日には地元の置賜農業高校の全生徒170名が役場、社協経由でボランティアに参加。ボラセンでは60名の生徒をアテンドし、最後の仕上げをみんなで行いました。
同日中にニーズはすべて完了し、残ニーズなしとなりました。

いつもお茶のみに伺っていた住民さんからは「また次に行くんだろうけど、身体には気を付けて落ち着いたら遊びに来てな」と優しい言葉をいただきました。

 

連続、広範囲の災害で支援団体も各地に散る中、駆けつけてくださった仲間の皆さんに心からお礼を申し上げます。あとは川西社協の皆さんに託し、私たちも次の支援先へと向かいます。
川西町の皆さん、山形の皆さん、本当にありがとうございました(P)

■飯豊(いいで)町での活動

山と田んぼに囲われのどかさが感じられる自然豊かな飯豊町。

未だに、田んぼや道路には流木や土砂があり、地元の業者さんが対応に追われ、ときおり頭上を通るヘリに、行方不明の方を探す現実が残っております。

災害が起こってすぐは、家の周辺や路上に県外ナンバーを含む多くの車が見え、ボランティアではないたくさんの人が片付けに追われている様子が見えました。

しかし、ボラセンがオープンすると家屋の相談もちらほら。
そこで、地元社協さんや応援社協さんと一緒に現調や一緒に作業を行いました。
家屋の乾燥のチェックポイントや、実際に板をはがす際の注意事項など、現場だから伝えられることをお話させていただきました。

飯豊町では高齢化が進んでおり、ご高齢のご家族がおひとりで住まわれているパターンも少なく無く、災害を機におうちを畳んでしまおうと考えられるご家族もいらっしゃいました。
床一面に広がった泥に、気持ちが折れそうになっておられました。

 

私たちは連携団体の力を借りながらそのお宅の掃除を重ねていきました。
少しずつ変わっていくおうちを見守っていた住人さんが『古民家カフェなんていいよね』と笑って一言。
築150年は超えているお宅で、歴史がつまった家の未来をもう少し見てみたくなりました。

 

そんな飯豊町の社協さんは、今日も一日笑顔を忘れずに行きましょうと、毎日局長が朝礼でお話されていた通り、慣れない災害対応の中でも、笑顔が絶えない社協さんで一丸となって対応されていたチームワークが素敵でした。

飯豊町のボラセンは継続して活動されています。次に向かう私たちの跡を石巻の同士、BIG UPのみなさんが引き継いでくださいました。

飯豊町の皆さんの、横のつながりの強さに加えていただき、また一つ勉強させていただきました!ありがとうございました◎(て)

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