• [2022年]令和4年福島県沖地震
  • 2022年3月16日深夜最大震度6強の地震が発生。 一年前と同じ福島県沖を震源とした地震だったが被害が明らかになるにつれ、前年よりも広域で被災されていることが判明。 宮城県を中心に地元団体として活動を開始。

令和4年福島県沖地震【ボランティア参加者の声】援人活動記

『援人活動記①』

各地で連携し共に活動してきたボランティアチーム援人の方々が、週末やゴールデンウイークを利用し丸森にも来てくださいました。
ベースでの共同生活から、現場での活動まで一緒に過ごさせていただきました。
援人メンバーのみなさんそれぞれから、
『援人活動記』をいただいているので投稿いたします。

以下、援人の中野さんより

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ボランティアチーム援人は、首都圏の社会人によるボランティアチームとして、これまでもさまざまな災害でOPEN JAPANのメンバーと協働させてもらっている。

3月に起こってしまった福島県沖地震。

東京ではくわしい被災状況のニュースが流れることも少なかったが、OPEN JAPANの投稿などを見て、お手伝いに行かなくては! と思い、3月末からほぼ毎週末、お手伝いを続けている。

ゴールデンウィークはOPEN JAPANの丸森町大内ベースに滞在し、地震で被災したお宅からの家財の運び出し・解体、ブロック塀の破砕と搬出、壊れた屋根の応急措置、家の崩れた法面の雑木伐採や重機と連携した土砂ならし作業など、さまざまなお手伝いをさせてもらった。

今回の滞在で強く感じたのは、OPEN JAPANと活動を共にしているメンバーや団体のスキルや世代の多彩さだ。

さまざまな個人や団体が交わり合うことで刺激になり、スキルやノウハウの移転が起こっていた。また、若い世代がリーダーとして成長していくことが促される環境だと感じた。

コロナ禍で2年間閉ざされているあいだに、日本の災害ボランティア界隈では両極端のできごとが起こっていると感じる。

元々スキルが高く意欲もあるボランティアは活動機会が増え、横のつながりも強まり、成長している。しかしその総数は増えてはいない。

一方で、経験が浅いボランティアや、初心者、ボランティアをやってみたいと考える人などは、コロナ禍の行動制限・移動制限で機会が激減し、全体として層が薄くなってしまった。

さらにいえば、世の中全体の災害対応、被災地支援への関心も落ちてしまっている。

いまもし首都圏直下地震や南海トラフ巨大地震が起こったら、「公助」だけではとても復旧支援の手はまわらない。災害ボランティア、中でもリーダー格の働きができる経験者が大量に必要となる事態になるはずだ。

起こってしまった災害への対応ももちろんしっかりやる。
それだけでなく、災害ボランティアが新たな仲間を呼びこみ育てていく。そんな取り組みもとても重要だと、今回強く感じた。

援人は、OPEN JAPANの「仲間たち」の一員として活動しながら、新たな仲間づくりにも挑戦していきたい。

『援人活動記②』
『援人活動記』、今回は森下さんから、活動について、感じたことなどを言葉にしていただきました。
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福島県沖地震の今回のお手伝い先では、東日本大地震よりも大きな揺れで怖かった、と何度も聞きました。でも、僕らが住んでる関東では、残念ながら、発災直後からほとんど報道もされないし、関心も低いのが現状です。

さらに言えばコロナ禍で、現場のボランティアさえ少ないなか、屋根上作業や崩れた法面の整備など、できることをやりました。

何度も見舞われる災害に、あきらめ気味な地元の方々もいる中で、密着した活動をされているOPEN JAPANの元で、ささやかながら貢献できたことに感謝します。

また、将来起こりうる災害に対応できるよう、さまざまな技術や学んだノウハウをを、今度は被災した方々に役立てるように返していきたいと思います。

『援人活動記③』

『援人活動記』、今回はかっきーさんから、活動について、感じたことなどを言葉にしていただきました。

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GW後半に訪問した山元町では2年連続で被害を受けたというお宅もあり、不便な生活や不安な状態が少しでも早く解消されるようOPEN JAPANを通じて微力ながらお手伝いすることができました。

今回は崩れた法面整備の準備として家屋周辺の草刈りをメインに作業を行いました。

災害ボランティアの作業の中でも草刈りは難しい道具がなくてもできる上、作業前後の風景の変化が分かりやすいので取り組みやすいと思います。

初夏の日差しで最初は休憩を多めにとりつつ体を慣らしながらの作業となりましたが、時折吹く風が心地よく、作業を後押ししてくれました。

移動をしづらい状況でボランティアの数が減ってきていると感じていましたが、大学生のボランティア団体と一緒に作業し、お話する機会があり、新しい世代が関心を持って行動していることを知って、改めて自分も継続していく励みになりました。

さらに、山元町では大好きなイチゴをたっぷり食べることができ、ご当地グルメもしっかり楽しみました!

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いつも、「地元のものを」と現地で調達して食も楽しまれている援人のみなさん。
今回は最終日の夜に、ねばねば納豆つゆでいただくそうめんを作ってくださいました。
活動中は、バリバリに動かれている援人男性陣のみなさんですが、お料理ではたっきーさんリーダーのもとパキパキと作られている様子が新鮮で印象的でした。
みなさんと台所(保健室の)で、お話ししながら過ごせた時間も嬉しかったです。

ありがとうございました。

『援人活動記④』
『援人活動記』、今回は梶谷さん(かじさん)より。
また、活動前の早朝からベース周りを走られた時のこと、その時の景色もシェアさせていただきます。

※お写真はかじさんよりいただきました。

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福島県沖地震の被災者支援で、丸森町にベースを構え活動されているOPENJAPANの受入れで、ボランティアチーム援人に参加しお手伝いさせて頂きました。

コロナ禍で直接お手伝いに行けない状況の中、OPENJAPANの受入れでお手伝いができ、東京では殆ど報道されていない地震被災について自分の目と耳で感じ、僅かばかりであるがお手伝いが出来て良かったです。

お手伝いは、震源地に近い山元町で家財出し、傾いてしまったブロック塀の解体、損傷した屋根の補修、地震対策の法面整備などをさせて頂き、ご依頼主から311より揺れが酷く、度重なる余震もありとても怖い思いをされたとのお話も伺うことが出来ました。

OPENJAPANは被災者が取り残されないよう行政と連携しニーズ調査を行い、被災者の気持ちに寄り添う活動をしながら、被災地間の行政連携の働きかけや学生ボランティアグループを受け入れてのリーダー育成など、次なる災害を見据えての活動はとても刺激的で、学びが多かったです。

また、活動だけでなく、経験値に合わせて、安全な作業の仕方や、道具の使い方など学びの機会を設けて頂きとても勉強になりました。

学ばせて頂いたことを身につけて、これからのお手伝いに活かしていきたいと思います。

2022.05.06 丸森町朝ラン

山、川、田んぼのある風景は空気が美味しい!
ほんの一週間前には雪化粧だった田んぼには、稲が植えら、カエルやウグイスが奏でる歌に合わせて揺らいでた。
遠くに見える蔵王の雄大さを眺めながら、田んぼ周りを走った。

季節を感じながら走れるところなんて、東京にはなかなかないよね。

『援人活動記⑤』

ラストは米澤さん(よねさん)から、これまでのことや、今回の活動について言葉にしていただきました。

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福島県沖地震のお手伝いはOPEN JAPAN萬さんからお声掛け頂いたことがきっかけで、 3月末から毎週末とGWに『チーム援人』として参加させて頂いてきた。

週末や連休限定でボランティア活動をしている我らにとって、作業ニーズを精査し提供頂け、かつ活動者の寝泊まりスペースまで準備して頂ける OPEN JAPAN は大変貴重な存在。お世話になるばかりで感謝しかない。

遡れば我ら『チーム援人』がOPEN JAPANのベースに初めてお世話になったのは2020年7月4日、丸森青葉ベース。台風19号(2019年)による豪雨災害のお手伝いだった。

その前夜から早朝にかけ南九州に豪雨、人吉・球磨村芦北地方に大雨特別警報が発出された日でもあった。

当然のようにOPEN JAPANの活動拠点は球磨村に移された。僕らチームも渡や神瀬のベースを追い、翌年の佐賀大町含め、幾度となく継続してOPEN JAPANとの繋がりが生まれたのだ。

OPEN JAPANの皆さんにとっては息つく間もない程、毎年のように地震や豪雨災害等が尽きない日本。

それでもOPEN JAPANは全国各地で災害に取り組み、被災された方々に寄り添い、家族同様に接し、立ち直りの手助けをされている。もちろん簡単にできることではない。

僕ら1ボランティアができることは僅かである。それでもOPEN JAPANの手足となり小さなサポーターとして必要な時に力を結集し『チーム援人』としてOPEN JAPANの応援を継続できれば…と考えている。

追伸:今回 Open Japanより伝授頂いた「屋根対応スキル」は、お浚いを怠らず必要時に役立てられるよう身にたけなければならないと実感している。

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