【令和6年能登半島地震】支援活動レポート 2月8~11日
【令和6年能登半島地震】支援レポート 2月8日
いま、能登で活動する私たちの仲間にはたくさんの若者が合流しています。
各地を旅する若者たちが、その旅の途中で支援に参加し、多くのものを残し、より多くのものを得て次の旅へと出て行っています。
「元気村のときのようだね」と阪神淡路時代を知る仲間がつぶやきました。
災害支援も一つの旅のようなもの、旅先で一回り成長したみんなが、また出会ってくれることを願います。
そんな旅人の一人、りほが活動した日々をレポートしてくれます。
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2週間前、“私が力になれることはなんだろう?”そんな思いも抱えながら能登町に入りました。
炊き出しや、コーヒー・お茶を配りながら住民の方とお話をしたり、集会所や避難所等をまわって困っていることや必要なものなどの調査をしたりと1日中走り回る毎日。
たくさんの方と出会い、お話をして、時には笑顔、時には涙。様々な環境と心境の中で過ごさせている方々と関わり合うことができました。
正直、私が直接解決出来ることは少ないですが、
「遠いところから能登町まで来てくれてありがとう」
「怖い思いもしたけど、こうやってあなたと出会えて良かった」
そんな言葉をかけて頂いて、私自身救われた気がします。少しずつでも地元の方のホッとできる時間が増えますように…
能登弁で『たいそない』は「しんどい」という意味だと住民の方から教えてもらいました。
まだまだ課題が山積みですが、『たいそない』住民の方が1人でも減ることを願い、私にできることを続けていこうと思います。(りほ)
【令和6年能登半島地震】支援レポート 2月11日
仲間たちが絶えず能登の地で活動できるように学生自身の手でファンドレイジングから行い、手弁当で人を送り続けています。
参加したガイとふなちゃんからメッセージをもらいました。
■1人1人がもつエネルギー
合計約2週間、オープンジャパンの皆さんと一緒に活動させていただきました。
僕は育ちがマレーシアで、地震や災害をほとんど経験したことがなく、そんな僕が被災地で何ができるのかととても不安で心配でした。
今回の経験を通して、被災地での一人一人のもつエネルギーが大事だなと思いました。
炊き出しは大体3、4人で行くので、その場で1人1人が出すエネルギー・個性で、他の炊き出しには出せない雰囲気や想いがでます。
また、オープンジャパンで活動したいです (ガイ)
僕はまだ18歳で、災害支援はこの能登半島地震が初めてでした。
右も左もわからない中、大人である先輩方がサポートしてくれたおかげでそんな自分でも被災地の方の力になれました。
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