【令和6年能登半島地震】支援レポート 6月27日~7月4日
【令和6年能登半島地震】支援レポート 6月27日~7月2日
イベントなどが続き少し間が空きました。
能登では活動が続き、たくさんの仲間たちがやってきてくれています。
◇橋の下世界音楽祭の仲間たち
発災以来炊き出しに駆けつけてくれている橋の下世界音楽祭のみなさん。今回は江戸系あやつり人形の上條さんとアーティストのタテタカコさんが来てくださり、珠洲市乗光寺を皮切りに能登町内の仮設や避難所だった交流センターなどでライブを開催しました。
たくさんの住民さんが訪れ、あやつり人形の精巧な動きに驚嘆し、タテタカコさんの歌に涙を流されていました。
◇東京の中心に能登から集結
キャンドルジュン氏が主宰するLOVE FOR NOTOが代々木公園で開かれました。能登から物産や料理を携えて住民の方がも参加、私たち能登で活動する支援団体もステージでお話したりブースを出して能登の今を伝えました。
代々木でのイベントが終わるとジュン氏たちも能登へと戻り、半年の節目となる翌晩には能登町でキャンドルナイトを行われていました。
ご来場いただいたみなさん、ありがとうございました。
◇ダッシュ隊徳島とわかものたち
連携団体のダッシュ隊徳島のみなさんがマイクロバスをしたててしばらく能登にて活動してくださいました。
OJの奥能登ベース村長であるリキの出身母体です。イベントから炊き出し、そして現場活動にと大忙しでした。
◇宮城県七ヶ浜から棚づくりに
私たちが仮設住宅支援をすると必ず駆けつけてくださる宮城県七ヶ浜の渡辺夫妻が来てくださいました。
お二人も東日本大震災で仮設住宅で暮らした経験をお持ちです。大工のご主人が仮設のスペースを有効に使う棚を作ってくださいます。
奥さんは仮設の暮らし方で、ここをこうすると便利だったりという生活のアドバイスをしてくださっています。
今回も宮城からありがとうございました。
◇そして宇出津はお祭りへ
本日2日に能登町の旧庁舎あとに大屋根広場が完成し竣工式が開かれました。3月に完成予定でしたが震災により現在となりました。
お祭りの会場である弥栄広場に面しています。
私たちは1月4日に能登町に入り、その時町の許可を得て車中泊していたのが弥栄広場でした。当時はひび割れだらけの中、吹雪と余震でなかなか寝付けなかったことを思い出します。
式では八坂神社の弥栄太鼓が披露され、最後は宇出津保育園のこどもたちによるキリコ巡業が行われました。
町中にも祭のちょうちんがさがり、今日は各町で子どもキリコが練り歩きました。
◇もう半年、まだ半年
半年という言葉がメディアでも飛び交い、最近は少なくなった報道陣も能登に戻ってきていました。
お話をしていた住人さんは、
「半年っていわれて、もう半年という実感はよくわからないです。あれが三日前っていわれても、一週間前っていわれても不思議じゃないんです」
「でも、世間が半年って注目して能登のことを思い出してくれるならそれでいいのかなって」
そう話してくださいました。
この半年で進んだこと、まだ進まないこと、たくさんのことがあります。そして復旧にはまだまだ時間が必要です。
毎日のどこかで、ふと、そんな能登のことを想い、伝えることもとても大事なことなのだと感じています。
【令和6年能登半島地震】支援レポート 7月3日~4日
先日、宮城県七ヶ浜からきてくださった大工の渡辺夫妻から引きついで、仮設住宅での棚づくりを進めています。
西日本豪雨や胆振東部地震、台風19号での丸森町での仮設でも同様の取り組みを行ってきました。
渡辺さんやジョッキーから習った若者たちが住民さんのご依頼、ご要望にしたがって「ここにちょっと棚があるだけで」「ここに踏み台があるだけで」といった仮設での生活環境改善に取り組んでいます。
宇出津の街中はお祭りを前にキリコが立ち並び少しそわそわした雰囲気がしています。
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