• [2021年]8月佐賀豪雨 大町町
  • 2年前に支援に入った佐賀県大町町。令和三年八月豪雨で再び支援活動を開始する。 佐賀県災害支援プラットフォーム(SPF)に加盟し、県、町、社協および技術系の仲間たちと連携のもと幅広い活動を継続中。

2021.08.22-29【ウィークリーレポート@令和三年佐賀豪雨】

8月21日

昨日
熱海市から先遣隊2名が佐賀県入り

2年前水害で油が流出した地区の公民館をお借りして連携団体と共に支援活動の拠点として災害ボランティアセンターと連携して大町町全域の技術系案件と佐賀県内の重機案件を対応させて頂いていた公民館

2年ぶりにお会いした
町内会長さんや役員さん
こんな再会はしたくなかったな、と
役員さんが指差して教えてくださる

その先には新しい家が見える
あの家は2か月前に嵩上げして住み出した家
こちらの家は1ヶ月前から
あそこの家は引き渡しを受け家電や家具を入れた翌日にまた
災害に遭ってしまったと
疲れきった言葉でお話しされる

2年前廃棄物の運び出しから始めた公民館
その後リフォームをしてなるべくお金かけないよう食器棚や什器家具などの備品を
あちこちから住人さんで集めて再開した公民館

2年後また
廃棄物の運び出し作業から活動をすることになってしまった町

昨日役場に挨拶に伺い
町長と副町長と話し合いました。
被害の概要と流れの説明を受け終わると

町長から
「宿泊場所は用意出来ているから」
「町民さんからは
OPEN JAPAN 来てくれるのか?
との声が上がっているからまた頼みます」

と話される。
そして今日

公民館の片付けをしていると水没した跡が見える額縁が壁にかかっていました。
2年前大町町の活動中地元宮城県が台風19号で被災して
OPEN JAPAN がある石巻の事務所も床上浸水に遭った災害では
県内で被害が甚大な宮城県丸森町で支援を並行して行っている時期がありました。

大町町での活動の目処がひと段落して
地元団体さんや社協さんに引き継ぎ終わり
地元宮城に戻る時
公民館の地区の方々が被災後2か月でまだ避難所などにいる時期に

「自分たちは大変な時
沢山お手伝い頂いたから
次の困って大変な時間の中にいる方々に
あなたたちは必要だからと」

被災町内で募金を集め13万6千円をOPEN JAPAN 緊急支援の活動支援金として寄付を頂きました。
その時撮った記念写真と支援金のお礼に石巻から出した手紙が公民館の額縁に飾られていました。

出来る事は限られますがなんとかせねば!との感情が溢れ出してきました。

しかしながら
思いと共に現状があります
熱海市では今日メンバーが避難所を回り
先日の調査結果を踏まえて家屋の再建の意向調査を
熱海市や熱海市社協と同行して行いました。

まだまだ大変な熱海市と並行しての活動と
コロナ禍にて人員的にも厳しい状況ですが
ご縁のある
大町町

動かないわけにはいきません。

どれくらいの動きが出来るか分かりませんが
活動開始させて頂きます。

連携団体との協力の元
熱海市と
佐賀県大町町を中心に

佐賀県域重機案件対応と
大町町災害ボランティアセンター技術系案件調整担当も含め
活動いたします。

すべての被災地
被災された方々をお手伝いする事はできませんが、出会ったご縁の方々と共に

その先の笑顔のために

そして被災地から見える課題を
制度や仕組みに活かされるよう事例や
課題解決の働きかけを
継続して働きかけ
災害が多発する日本の
災害対応力の底上げの一歩を
一歩ずつ歩いていきます。(ひ)

 

8月22日

どんよりと曇り空の中、湿気が多く感じられる大町町。

限られた人数で始まったボランティアセンターのニーズ調査に同行し、被害にあったお宅に訪問しました。
2年前に、IVUSAなどが入って泥出しを行ったお宅からのニーズ調査で、前回は床上10センチほどだった浸水が、今回は床上1メートルの浸水。

リフォームしたのに、『また』という住人さんの心身の疲労の色が強い。

被災経験がない場所での活動では、壁床はがしなどの作業工程のお話をすぐに提案させていただきますが、2年で2回目というこの頻度には、まず住人さんのメンタルケア、そして、考えや方針を聞き、家屋の保険や大工さんとの意向を、今まで以上に慎重に聞き取る必要が感じられました。

そんな中、力強い応援団が昨年の7月豪雨の球磨村神瀬地区から駆け付けてくれました!!

OPENJAPAN神瀬として、九州で有事の際にはと用意していた車や資機材を運搬していただき、住人さんと接することなく公民館の清掃作業をしていただきました。

球磨村で起こった災害は、河川の氾濫と土砂災害の複合災害でしたが、大町町の災害は内水氾濫で災害の作業を経験し、災害の違いを感じられていました。

神瀬地区の皆さんが『お世話になった』という想いを胸に駆け付けてくれ、今度は応援する側だと立ち上がり、大町町で神瀬の皆さんからパワーを受け取りました。

8月29日

発災直後から入り活動している大町町。一週間ぶりに太陽が現れました。
休日とあって、あちこちで窓や扉が開けているおうちが多く見られました。
ちょうど2年前も、六角川の氾濫で被災した大町町。

今回は浸水域が広く、深くなり、国道沿いで前回は床下浸水だったお宅が
今回は床上浸水してしまったという状況があちこちで見受けられました。

―まさか、また。街中ではそのような声があちこちで聞こえます。
それと同時に「また来てもらえてほんとに嬉しい」と久しぶりに会うみなさんが言ってくださいます。
そして、「しんどい」という素直な声も伝えてくれます。

今回はコロナ禍でもあり、災害支援専門団体として佐賀災害支援プラットフォーム(SPF)を通し、
同団体のコロナ対応基準に準拠して活動しています。

社協さんからNPOニーズとして床下や壁のチェックなどで現場調査が上がってくるので、
大町町内をくまなく走り回ります。
2年前にも一緒に活動した仲間の団体と連携を取り、現場の調整・コーディネートも行っています。

現場調査に伺うとあちこちで2年前の教訓もあって、
床板をあげ10台近くの扇風機を回されているお宅もありあました。

範囲が広くなった分、いたるところで送風機が必要になりますが、
行政や支援企業からの追加などでも対応しています。

「2年前に教えてもらった通りに床板はいで乾燥しよるけん、見てもらえんね?」
そういいながら家族で床下の断熱材を撤去したというお宅もありました。

前回に続き拠点としてお借りした下潟の公民館には、役場からの食料や物資も置くようになり、
取りに来られる住民さんにも久しい顔がたくさんみられ、住人さん同士もお互いを励ます声がきこえてきます。

物を整理する用の段ボールがほしいとの声もあったので、
2年前の台風19号で使われたダンボールベッドを宮城から急遽郵送。
今回の避難所ではプラスチックベットだったので段ボールがなく困っていたとのことで喜んでいただけました。

今日からは炊き出し専門団体による夕ご飯の炊き出しが始まります。
キッチンが使えない住人さんも多いので、少しでも元気につながっていきますように。

その先の笑顔のために、すこしずつ大町も回り始めています。

家屋の被害ももちろんですが、2度目の被災に直面するみなさんの心によりそって活動を行っています。

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