奥能登から神戸を思う ~神戸元気村からOPEN JAPANへ~ 1月17日

奥能登から神戸を思う
~神戸元気村からOPEN JAPANへ~  1月17日

1995年1月17日 5:46 阪神淡路大震災から29年時が経つ
震災直後に、私たちのムーブメント創設者であるBOW(バウ)さんを中心に、神戸に集まった人たちが、神戸元気村の屋台骨を作っていった。

集まる仲間たち、、 『何かやることはありますか?』との質問には、BOW さんは『帰れ~!!見たらわかるだろう。自分でやることを探せ~!まわりの現状を見て判断しろ~!!』と、指示や命令待ちではなく、主体的に動くことの重要性を示してくれた。

当時は、何のマニュアルもなく、すべての人が、悩み、それを解決するために、全力で向かった。若者の力が、最大のエネルギーになって、数々のプロジェクトを立ち上げ、活動に没頭した。

そんな仲間たちが、東日本大震災をへて、神戸元気村からOPEN JAPANとなり奥能登に集まりつつある。
当時の若者たちは、今、29年の歳が加算され、蓄積した知恵やアイデアを、伝え手や、仲間となって新しいメンバーと能登半島で活動を開始しているのである。

「災害に備える」を、たくさんうたって来たが、 避難先には、装備が備え付けられておらず、支援が入るまでの不安は大きかったと感じる。
ダンボールベットにはじまり、準備ができていればと心を痛める29年である。 残念なことだが、この心の痛みは、今も同じことの繰り返しのようだ。

自分のスキルや、本業を最大に活かすことができる集団が、神戸元気村からのバトンを渡された若者たちなのです。
わたしも、29歳を重ねた結果、OPEN JAPAN から OLD JAPANになりつつある。

しかし今、この流れに加わった青年たちが、中心となり、若返りのOPEN JAPANの飛躍的な活動となって、たくさんの地域に、たくさんの笑顔が戻ることを信じて、地域によりそい、長い旅のような、支援を続けていくことになると今日また再認識し、実感した。

被災地は、まるで生き物のようだ。
細胞である全ての人々が、たんたんと再生に向かって歩んでいるのです。
さまざまな人々が、いろんな方法でこの町を素敵にしていくのでしょう。 (四万十塾とーる)

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