【令和6年能登半島地震】支援活動レポート 1月9~10日

【令和6年能登半島地震】支援活動レポート 1月9日

ともに支援を。
現地で被災者の方に必要な活動が炊き出しです。

場所は珠洲市の避難所になっている飯田高校。
支援物資の配布と野菜いっぱいの「元気鍋」を提供します。

仲間たちと、道具と食材一式を持ち込み、調理開始。
寒い避難所生活のなかで、温かい食べ物が、心と体に沁み渡りホッとしてもらいたいです。

今から28年前、
阪神淡路大震災の折にOPENJAPANの前身である神戸元気村で炊き出しをはじめました。
当時も寒い中、被災し避難生活を送る方々に少しでも元気になってもらいたいという願いの一心で作った「元気鍋」。

あれから神戸→東日本大震災→熊本地震→丸森→能登半島へ、28年間、各地の被災地で、みなさんの心と身体を温め続けています。

輪島市では、スーパーのオーナーさんからご相談がありました。

「断水しているが、なんとか通電したので、お店をオープンさせたい。
今日の時点でレジを使って販売できる乾き食材は店内にあり、さらに様々な食材が搬入できればが地域の皆さんのお役に立てるのではないか…」

避難所近くの大型スーパーへの搬入トラックのルートを確保しました。

近隣の方々もスーパーのオープンを待ち望んでいる現状・・・
「食材があれば、自分たちでカセットコンロで料理がしたい・・・」
「避難所で配布されるのは、有難いが・・・喉を通らないことも・・・」

現調すると、スーパー正面のルートは、製材所が倒壊し、巨大な瓦礫や木くずが山積になっています。
トラックの通行は厳しい状態だったので、倒壊した醤油工場裏道を開通させ、橋の15センチ近い段差を埋める方法で、なんとかルートの確保をしました。

地震から8日目 寒さの厳しい能登半島。

現地にいる私達に出来ることを見極めつつ、
遠くで応援して下さる皆さんと心を1つに合わせて、今日も進みます。

~その先の笑顔のために~

【令和6年能登半島地震】支援活動レポート 1月10日

能登半島に集まってきたOPEN JAPANの仲間たち・・・、本日も数チームに分かれて活動です。
現在私たちは、手の届く距離にある避難所を全て把握できていない状況です。どのような状況で日々生活されているのかがとても気になっています。

奥能登、ほとんどの地域では水道は通っていません。しかし山間部の避難所では、山水、沢水、湧き水などの場所を知っていて、普段から使っていたり、また、ガスは無くても薪や炭を使って料理をしたりする方々の話を聞き、強さを感じる場面も・・・。

山間部に点在する避難所で電気は使えるのかどうなのか把握できていない状況が続いています。ここ数日で、支援で届いたポータブル電源を、電気が使えない避難所をまわり聞き取り調査をしながら届けさせていただきました。

自衛隊の方々にもその必要性、使い方を伝えさせていただき、一般車が入って行くことができない地域へ届けていただく流れも作っていきます。(自衛隊の車高が高い車両などでしか入って行けない地域があります。)

愛媛県今治から「今治産タオル」を届けてくれたFC今治の仲間を中心とした今治チーム。昨日(1月9日)から始まった自衛隊風呂の現場に届けさせていただきます。

家が倒壊し、着る物もタオルも何もかも取り出せず、9日ぶりのお風呂にいらした方々に届けることができました。
他にも漁村の小さな避難所などにもタオルと一緒に水、日用品をセットにしてお届けさせていただきました。

そして、本日の炊き出しチームは特別養護老人ホーム長寿園にて130食の元気鍋。施設の入所者の方々は部屋からは出てこられないので、職員さんがお盆に乗せて部屋まで運んでくれます。

職員さんの方々数名はご自身の自宅も被災され、園内で寝泊まりをしているとのこと。職員の方々からは「美味しかったです、元気が出ました!」と、元気鍋の炊き出しで一番感じていただきたい想いが届いたようで嬉しかったです。その言葉によって終わりの見えない活動を続けている長期ボランティアも元気が出ます。

1月1日以降の能登人(のとびと。地元の方々は自分たちのことをこのように表現?)被災状況、生活状況は人それぞれです。とても「被災者」「避難所」という言葉で一括(ひとくく)りにできない・・・というのを感じます。ひとりひとりとのご縁をしっかりと感じ次の行動、そして明日の笑顔に繋げていきたいと思っています。
(匠)

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