• [2021年]令和三年七月・八月豪雨
  • 熱海市土石流および佐賀豪雨大町町の支援を開始しています。 多拠点での活動が続きます。 一つ一つの活動を丁寧に、できるだけ。

令和3年7月佐賀県豪雨災害のその後の状況確認活動

7月6日水曜日
宮城県丸森町から佐賀県大町町のオープンジャパンベースに移動しました。

この日は、昨年の7月に佐賀県を襲った大雨で被災した地域のその後の現場の状況をこの目で確認するために、一緒に災害支援活動に携わったオープンジャパン緊急支援プロジェクトの萬代さんと行ってきました。

最初に、武雄市内の自宅裏庭の崖が崩れて、住民のお父さんが一人で蛇篭を使ってコツコツと石を一つ一つ綺麗に並べて崖の修復作業をされていた現場へ行きました。

昨年私達がこの現場に支援に入った時は、まだまだ一番下の蛇篭の設置作業が始まったばかりでしたが、お父さんがご希望された蛇篭に入れる石を採石場から自宅敷地内まで運搬する作業や、重機を使って重い石を蛇篭まで降ろす作業を主にさせていただきました。

ご自宅を訪問した時には、変わらない笑顔で迎えていただき、綺麗に出来上がった蛇篭の法面を嬉しそうに見せてくれました。
元々とにかくこだわりの強いお父さんでしたので、ほとんど自分一人で石を組み合わせてコツコツと蛇篭を積み上げて完成させていました。
何から何まで何でもこちらが支援して作業を進めるのではなくて、住民さんの望む支援活動をして、住民さんの持つ「自分のやり方へのこだわり」を大切にすることを学んだ案件でした。

二件目は武雄市内の長泉寺さんの墓地の裏側の法面の修復作業現場でした。
この現場の一番の肝となったことは、崩れた場所へ小型の重機を如何にして入れるかでした。
解決策としてたくさん土嚢を作成して積み上げて重機の道を作り、重機を使って法面を修復してから重機を降ろして、更に作った土嚢を全て撤去するという大掛かりなプロジェクトの発案でした。

結果は、お寺の檀家さんや、地元のたくさんの消防士の皆さんのご支援をいただき、土嚢を約1500個作成して重機と一輪車の道を作り、人間重機と言われる援人さんに東京から来てもらい、更に熊本県球磨村からですです隊のメンバーも駆けつけ、崩れた法面の土砂を重機と一輪車で全て搬出しました。

また、現職自衛官の新堀組の皆さんの技術をお借りして土嚢を積み上げて法面の基礎部分を完成し、更に佐賀県や長崎県の技術系アライアンスの皆さんのお力で、法面に芝を張るためのロンタイの設置もしてもらいました。

本日久しぶりにお寺を訪問すると、土嚢部分はすでに工事が完了していて、コンクリートで石垣が出来ていて本当に驚きました。お寺の住職からはいつものように深々と頭を下げられて感謝のお言葉をいただきました。

重機はデカくて入れなくてダメ、人力だけでも無理、しかしながら重機と人力がコラボすれば何とかなる。ということを私に教えてくれた案件でした。

3軒目は嬉野市内の土砂が入った田んぼの土砂搬出をした現場でした。
昨年の大雨の時に河川氾濫で田んぼに土砂が流れ込み、今年の田植えを心配していた農家さんですが、今年も無事に田植えが出来て、青々とした稲がさわやかな風に揺れていました。

日本人の主食はやはり「お米」ですので、農家さんにはこれからも美味しいお米を育てて欲しいと思いました。

4軒目は、嬉野市の茶業を営む農家さんの崩れた石組みの修復現場でした。
嬉野市の美味しいお茶は全国でも有名で、全国大会でも優勝する程です。

それゆえに茶業農家さんにとってはお茶の木を支える石組みは重要で、私達も石川県から技術指導で来られた田中会長に指導していただき、初めて石組みの方法を教えてもらって活動させていただきました。

今年の4月には、美味しい新茶が収穫できたということで、嬉野市長の村上さんが宮城県丸森町を訪問された時に今年の新茶をいただき、とても美味しくて感動しました。
水害という不幸な自然災害で出会ったご縁ではありますが、このご縁をこれからも大切にしていきたいと思います。
5軒目は嬉野市役所の産業振興部にご挨拶に伺いました。
村上嬉野市長はご不在でしたが、中村部長さんと森課長さんと懇談させていただき本日の現場確認の状況を報告させていただきました。

またお二人からは、被災したことを前向きに捉えて、今後発生すると予想される自然災害への構えの準備と、行政と社協と民間団体の三者連携の強化、地元JCさんやご支援いただいている団体さんとの更なる連携の構築についてお話を伺いました。

村上市長が今年宮城県丸森町を訪問され、お互いに災害発生時の対応について意見交換をされたことがきっかけとなって、嬉野市と丸森町との災害発生時の連携強化や情報交換がこれからも活発になっていくことを期待したいと思いました。

村上市長をトップとして、災害に強い町作りに尽力する嬉野市の皆さんがとても心強く思えました。
萬代さんから「被災地のその後について現場を訪問して確認することはとても大事だよ。」と聞いていましたが、今回も訪問活動に参加することができて、貴重なお話や自分自身の反省点や気付きや学びがたくさんありました。
これからも災害支援活動の一つとして重視していきたいと思いました。

この先どのような災害が押し寄せようとも、OPEN JAPAN緊急支援プロジェクトは活動して参りたいと考えます。

全ては皆様の”その先の笑顔の為に”
(本多)

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